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   自然旅(エコツアー)

   自然にかえる旅、よみがえりの旅

・何もしない旅。聖なる静けさに抱かれる旅

水音だけが響く森の奥の滝で、たっぷりとマイナスイオンを浴びてください。
冬でも暖かな熊野の海で、無限に続く波音のアルファー波に抱かれてください。
猿・鹿・うさぎ・かもしか・フクロウ・ヤマネ。
月明かりの山道を走れば、野生の動物たちが姿を見せ、じっとつぶらな瞳でみつめてきます。屋久島と同じくらい雨が降る熊野の森は、稀少価値の高い動植物の宝庫であり、モノノケたちが棲む異界の森です。
人気のない山奥の温泉で、心と身体にためこんでいた疲れをぜんぶ流してみませんか。
熊野の自然は、あなたの心と体に惜しみなく光をチャージして元気をくれます。

・冬の癒しはやっぱ温泉でしょう

  世界一温泉好きな日本人

同時多発テロ以来、嘘のように海外へ向かう観光客が激減しているらしい。
そんな訳で今年の冬あたりは国内旅行をする人がふえる気配。国内旅行といえば、温泉はセットになっているんでないかい?また、日本人ほど温泉好きな国民もいないんでないかい?
私は三年ほど続けて、世界一周三ヶ月間の船旅にジョイントしている。NGOグループ「ピースボート」が主催する船に水先案内人として乗船し、世界各地の先住民族のかたがたのところへ遊びに行っては、平和を願う祈りをこめて歌をうたわせてもらっている。その旅で痛烈に感じたのが、日本人は世界一風呂好きな民族である、という真実である。
珊瑚礁の島でも、メキシコの観光地アカプルコのリゾートホテルでも、ホテルに求めるものはただひとつ、暖かい湯のためられるバスタブである。
ピースボートの船旅は激安である。最低98万円コースの部屋(4人部屋)に三ヶ月を暮らす若い女の子も、ゆったり個室でフルムーン旅行を楽しむ御夫婦もみんなが恋しい日本の味は、実はお風呂でした。


   秘境、熊野は野生の宝庫

熊野は海あり山ありの野生の王国である。陸の孤島であるから交通は不便だが、時間とお金をかけてでも、ここの「自然力」を浴びに来る値うちはある。
なぜならここには、日本のほとんどの「田舎」が失ってしまった野生を、今なお色濃く残している土地だから。
ここは田舎ではない、「秘境」である。
人の住めない険しい森、谷川を駆け下る水音だけが支配する深い谷。
野生の獣も暮らしている。
私なんぞは「もののけ姫」を地でいく山暮らしである。
畑にはたぬき、うさぎに鹿、猿、いのししまでやって来る。道には時折、かもしかがぬぼーっと立っていたり、「ハリーポッター」でお馴染みのキャラ、優しいシロフクロウが闇夜、道のまんなかでなにか動物を捕らえて食べていたりする。
そう、今は世界遺産の縄文杉で広く世に知られた屋久島とここは似ている。
黒潮海流の流れが支配する陽性で力強い自然の気配。熱帯雨林の2倍も降るという雨が生み育てる豊かないのちのエネルギーがこの地にはまだ在る。
熊野も本州最南端の串本やクジラで有名な太地、三重県の波多須などに行けば、海の近くはほとんど亜熱帯である。
岬にゆれるヤシの木さえないけれど大好きなタヒチにも似ている。


・南方熊楠が守った引作(ひきつくり)の大楠

 引作の大楠

熊野灘に面した、みかんの産地、三重県御浜(みはま)町の引作(ひきつくり)地区に、一本の巨樹がある。
引作の大楠(ひきつくりのおおくす)は、推定樹齢葯1500年、幹の周りが15、7メートル、高さ31,4メートル(熊楠の調査による)。三重県随一、新日本名木百選にも選ばれた巨樹である。

いやしの巨樹巡礼

和歌山県新宮市から三重県熊野市へ向かう海沿いの国道を、鵜殿(うどの)で折れて、山道に入る。熊野へ抜ける急勾配の山道、みかんの山地らしく、その名も「オレンジロード」をひた走る。
引作地区は、山あいの小さな農村だ。(大楠の看板を見落とさないように!)
車を止めて降りてみると、春の夕暮れは、すぐそこまできていた。
ふんわりと木のまわりに、もやのような宵闇がまとわりついていた。
木の足もとをまたぐように、清らかな水が湧き出している。
すぐ隣りに引作神社がある。木の周りには、ごみひとつ落ちていない。大木から舞い落ちるであろう大量の落ち葉も、心ない観光客が落としていくであろうゴミも、神社を敬う、地元の方がたが掃除されているのだろう。ありがとうございます!木を愛するひとびとの心がうかがえ、清々しい思いになる。

 巨樹の子宮

木は、とにかくぶっとい!
見あげれば、頭上高くサヤサヤと木の葉が、やわらかなさざ波の音をたてている。いく千いく万の木の葉は、季節ごと、その日の天候ごとに異なる葉音をたてる。
楠の木は春おそく、古い葉を落とし、葉が落ちる頃、新芽が吹いて、新しい葉に入れ替わる。
どんな巨樹にも、老木にも、巡る春ごとにあたらしい花が咲き、新しい葉が芽吹く。
その姿は、いのちの再生を思わせる。
大楠のマンモスなみの迫力と、その優美なる立ち姿に敬意をはらい、一礼した後、そっと幹にうでを這わせてみる。
ごつごつした木の肌が、わたしの頬にあたる。
目を閉じると、なにかあたたかい気配のようなもの、たしかにそこに流れているあたたかい生き物の気配が伝わってくる。 むき出しの太い木の根の上に、そっと立ってみる。
大楠の木の根っこは、ここかしこ、土の中、地中深くまで達しているだろう。大地に突き刺した、おのれの血管のような木の根。
そこから流れてくるものなのか、わたしは知らない。知らないけれど、ただ感じている。温泉につかったような平安なきもち、あたたかな静けさ、静ひつな水の中にいるような心地。
そうだ、これは子宮のなかとおんなじ気配だ!
足下の大地のエネルギーを木が吸い上げ、永い永い、人間から見れば、永遠とも思えるような年月をここに立ちつくし、日の出を拝み、夕日に別れを告げて、月に抱かれ、星空を見て暮らしてきた木。
木に押しあてた手のひらから、なにか強い気が感じられる。
大地から、高い梢にむかって垂直に、なにか圧倒的な生命エネルギーが流れている。
その時、わたしは心の底から、この星の平和を祈った。植物とひととが共に生きていく地球を、強く希望しながら、腹の底から祈った。祈らずにはおれなかった。
「地球樹の神々」
そんな言葉が胸に湧き、その瞬間、涙があふれてきた。
木は、まさに神の化身だった。カミとは、まっすぐに、天と地を結ぶもの。
己の自我欲望をいっさい抱かず、ただ、いのち生き生きとそこに立ち、地球と一つ、
宇宙とひとつに繋がって、いのちの天命である愛と調和のうちに生きるもの。

まっすぐに天を仰ぎ、いっさいの邪悪なおもいを抱かず、あるがままに、草木や鳥や虫たちと共存しながら生きてきた。1500年もの永い間、朝と夜とを見つめ、木の
周りで右往左往しながら生きている人間たちの暮らしを、そっと見つめてきたんだ。
黙して語らぬ木。しかし、木は言葉を介さずとも、同じ生命体である私を優しく抱き、暖かくて、もの凄い力を与えてくれた。

 前衛的エコロジスト、南方熊楠と神狩り

もし、南方熊楠がこの木を守らなかったら、この大楠は明治時代に伐採されていた。
大楠はこの他に、7本あったが、この木を残してすべて伐採された。
大楠はもともと、引作神社のご神木であった。
明治39年、政府によって全国に布告された「神社合祀令」により、引作神社は阿田和神社に合祀されることとなった。
この訓令は、「神狩り」であった。一町村に一社しか神社を認めない。それ以外の神社は本殿もご神木もすべて、取り壊された。
引作神社も明治43年、本殿を取り壊されて、境内のご神木であったこの楠の木だけが残っている。
この訓令に噛みついた男がいた。熊野が世界に誇る植物学者、南方熊楠だ。
神社は、その地に住むひとびとの魂のよりどころである。植物学者である熊楠は、神社の境内に生息する植物世界の豊かさを誰よりも知っていた。
怒り心頭の熊楠は攻撃に出た。新聞に反論を載せて、世論を動かそうとしたが、元来、酒癖がわるく破天荒なこの男は、酔ってお役人に噛みつき、そのために彼は裁判ざたになって罪人あつかいを受ける。
ナチスのユダヤ狩りにも似た、非情な神狩りと自然破壊をくいとめるため、孤軍奮闘する熊楠に救いの手をさしのべたのは、民俗学者の柳田国男である。
彼を通して各界の名士に、熊楠の嘆願書が送られた。かくして、合祀令の悪法伐採から守られた「熊野の巨樹たち」の、数少ない一本が、この「引作の大楠」なのだ。
大楠の樹の股で、テング人クマクスがわらいネコのように高笑いしている気がしてきた。
熊楠とは、楠の精霊だったのか?
地球的規模で自然破壊が進んでいる今、わたしはこの巨樹に抱かれて、決意を新たにした。
もうこれ以上、人間の私利私欲のために自然破壊という大罪をおかしてはならない。
わたしは、熊野のテング人、熊楠が教えてくれた自然への畏敬の念を忘れないぞ。自然破壊に対しては断固とした声を上げるぞ。
一本の木は、これほど深くわたしの心身をいやしてくれる。それはかけがえのないいのちの放つ愛だ。ありがとう、楠の木。ありがとう、熊楠。
この木がいつまでも、ここにすこやかにあってくれるよう祈ります。

お問い合わせ*

御浜町企画振興課(05979)3−0507
ホタル時間

「今夜はホタル飛ぶで。」
ホタル谷の友達から電話がかかる。
日暮れ時、車を走らせ谷へと向かう。
ホタルの谷は小さな谷
水音が村を巡り潤す美しい谷
瞬きひとつのあいだに
光っては消えるエメラルド
消えたはしから、ゆらりと光る
光のダンス 宇宙のリズム
時計の針も見えない闇に
ホタルのまたたきだけが時を刻む
水を張った田んぼをホタルが舞えば
水面を走るかすかな星
その光を崇めるようにあちこちの田で
かえるがかえるが大合唱
ホタル時間は永遠時間
時の流れを超えた時間
瞬きひとつ、瞬間の夢
またたきひとつ、永遠の夢

・黄泉の森に光るキノコ

                 

熊野で、光るキノコ「シイノトモシビダケ」(キシメジ科)が見つかった。
まるで森のホタルのようなこのキノコは、和歌山、東京八丈島、大分、宮崎県の四箇所でしか見つかっていない。
ちょうどホタルの季節が終る六月中旬からわずかの時期に、キノコは光り、気がつけばそのはかない一生は終わっている。
ホタルもそうだが、一年のほんの短い時期にしか出会うことのできない繊細で神秘なる生き物なのだ。
熊野地方では、和歌山県すさみ町江須崎、宇久井半島、串本町大島での生息が確認されている。
今回、写真家の楠本弘児氏が発見した場所は三重県熊野市の花のいわや神社周辺。
ここは、イザナミが火の神を産んで死んだ後、旅立った「黄泉の国の入り口」と言われる場所だ。
街頭の明りもささぬ漆黒の夜の夜中に光るキノコを探して、黄泉の国の森に分け入るなんて、さすがは熊野のテング人、楠本さん。
この茸の専門家がいない中で、和歌山県山村産業試験場の大槻さんに教えていただいた。「シイノトモシビダケは細胞中のルシセリンという物質が酸化する際の化学反応により発光する。椎の大木のある森で、椎の木の枯れ枝や根株などに生える。」
「樹齢数百年の椎の大木が茂っているところにしか生息しない。だから、神社や、いわゆる切らずの森にしか残っていないんだ。」
熊野の自然の旬を知りつくした男、楠本氏は語る。
古代の熊野の森には、あちこちに椎の巨木が生えていて、夏の夜にはこのキノコが幻のような光りを放っていたことだろう。
森の奥ふかくでその「不可思議光」に出会った人々は、きっと誰もが自然の神秘に畏敬の念を抱いたにちがいない。
「このキノコがもう一度、熊野の森に繁殖できるような原始の森にかえしていかにゃならん。」
熊野はさいわい黒潮モンスーンのもたらす多量の雨に恵まれている。太陽のパワーも亜熱帯に近い。
熊野は黒潮照葉樹林の森。生命力あふれる緑の森。それが本来の、熊野の森の姿だ。光を観る地
人間のあくなき欲望によって地球的規模で進行する砂漠化で、植物がおもうように育たない地域が増えているなかにあって、これだけ緑の生命力が豊かな熊野の森は、地球の宝だと言えよう。
「杉、ひのきだけの森にしたらあかん。あれは森じゃない。杉畑だ。」
杉の林の下には山菜一本、たべられるキノコ一本生えない。不毛の林である。保水力も弱い。
山のおさるが、ぬすっとみたいに人里にあらわれて稲やさつまいもを食らわずとも、森にはどんぐりのなる木がいっぱいあって、おさるのおっかあが安心して子育てできるような森。
かもしかかも君がかわいい家族を増やせるような豊かな野性の森。人と、人以外のあらゆるいのちが今よりもっともっと濃密な生命力にあふれていた縄文の森。
想像してごらん。今、目の前の森でさえ私にはぶっ飛びのマヤの緑の森なのに。
楠本さんをはじめ熊野を愛するテング人たちは、ここ熊野からそんな古代の森の再生を、甦りを始めていきたいと強く願っている。
聖地とは、人が目に見える「しるし」として、そこに神社を建てるよりずっと古くから、「光を観る場所」としてエネルギースポットとして、そこにあった。
そう、観光とは光をみる場所。
聖地とはその地の気配のなかに、天のエネルギーが、ガンガン入りこんでくる場所だ。
光るキノコ、シイノトモシビダケが絶滅に瀕した茸としてではなく、
熊野の森の再生の象徴となるように、私は願ってやまない。
ねえ、かえるくん?(強くうなずきの「げろっ。」)
あなたも神秘のキノコを見にきませんか?

生息地

和歌山県 すさみ町江須崎

和歌山県 宇久井半島

和歌山県 串本町大島

三重県 熊野市

時期、場所の詳細は各観光課にお問いあわせください。
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